理系大学院生、教養を求めて。

私は、政治や世界情勢に関して、情けなくなるほど何も知らない。そして、そのような気持ちになるたびに、「自分の専門は理系 (工学) なのだから、政治や経済を勉強する余裕があれば、自分の専門に役立つ数学やプログラミングを勉強するべきだ」と自分に言い聞かせ、今の今まで、そのような教養が欠落している自分を無視してきた。

一応、理系学生の立場から言い訳をさせてもらうと、理系学生は勉強する”必要”があるものが割と多い。分野によって異なると思うが、例えば自分の分野の工学の場合は、数学、物理、プログラミング、英語などは必須であり、その内容も多岐にわたる。これらに関しては、それなりにこれまで時間をかけて学んできた気もするが、まだまだ自分の実力は十分であるとは言えないし、勉強したいのに勉強できていない分野も沢山ある。まだまだ時間をかけて勉強をする必要がある。ただ、これらのことを学ぶのはそこまで苦ではない。そもそも、こうした内容が好きだから工学を専門にしたわけだし、これらの能力を身につけることが自分の市場価値の向上にもつながる。だから、どうしても政治、経済、世界情勢といったいわゆる教養として扱われてきた内容は優先順位が低くなってしまいがちである。

例えば、政治に関して言えば、私は特に自分の政治的なスタンスのようなものは持ち合わせていないし、どのようなスタンスがあるのかもわからない。そもそも政治に関しては、国民が投票して、選挙の結果によって政治家が選出され、その政治家が色々とルールを作っている、というくらいの理解しかない。一応、選挙で投票はするが、投票の背後にある動機といえば、投票しなかった場合に”無責任な大人”というラベルを貼られるのを避けたい、というくらいのものである。

正直、日常生活を送る上では、このようなスタンスであってもそこまで困ることはない。今までも困らなかったし、これからも特別困ることは無い気がしている。周りにも同じように考えている人は沢山いると思う。

ただ、他の国の学生と話をすると、彼らはおしなべて政治や国際問題に対して何かしらの考えを持っている。彼らと話をする度に、自分はこれまでこうした問題に全然関心を持ってこなかったし、そして無知なのだなということを実感する。

きっと自分は、こうした問題に関して特に不満を持たずに生活できるほどには恵まれていたのだろう。特別裕福な訳ではないが、日本という国に生まれ、両親には大学院まで面倒を見てもらい、今は海外に留学している。政治が原因で自分の人権をひどく侵害されたり、経済的に困窮したこともない。

最近は、留学先でできた人たちが真剣に捉えている事に関して、ただ単に自分とは無関係だと切り捨ててしまうことに対する問題意識が芽生えてきた。別に教養人になりたいわけではない。ただ、留学先で出会う世界中の友人が見ている景色を少しは理解できるようになりたいし、そのために努力できるような人ではありたいと思う。基本的なことから、おそらく本当に初歩の初歩からになると思うが、少しずつ学んでいきたい。

このブログには、その学びの過程を言葉に残していきたい。